私の長流川発見(地域生態系の発見)

 

                              日本野鳥の会 室蘭支部副支部長  篠 原 盛 雄  

 

1〕 伊達の自然

  伊達は東側に700m前後の山々が連なり、北西側に700mあまりの有珠山が噴煙を上げています。長流(おさる)川はその間を支笏湖のあたりを源に南北に50kmにわたって周辺の水を集め内浦湾に流れ込んでいます。伊達はこの長流川をはじめ中小の河川の沖積平野として南に面して広がっています。そのため6月オホーツク高気圧から吹き出してくる冷たい湿った風は東側の山々に遮られて登別、室蘭に冷たい雨を降らせます。伊達は晴れの日が多いのです。冬は北西の有珠山がやはり雪を遮って積雪を少なくしています。南側は海に面していますので、1年を通じて夏は涼しく、冬は暖かい海洋性の気候となります。1年の最低気温が-10度C程度(1年に数度)ですので、長流川が全面凍結することは殆どありません。

 伊達市は明治3年仙台藩の支藩の1つである亘理藩の武士たちが戊辰戦争に敗れ、新天地を求めて開拓に入り開拓に成功して出来上がった町です。その当時はうっそうとした原始林に覆われていましたが、開拓が進み、明治40年には本格的な稲作もできるようになり、優良な農村として発展してきました。伊達は開拓の歴史が北海道の中で早い方で、途中いくたびもの戦争もあり、山も含んで周辺の原生林はことごとく切られました。さらに高度経済成長以降のコンクリート漬けで河川海岸線はことごとく荒らされ、伊達の自然度はかなり低くなっています。

2〕 長流川発見

 私はいま伊達に居を構えていますが、転勤族で13年前に伊達に住むようになりました。高校は伊達高校を卒業しましたが、生まれは洞爺湖の洞爺村です。
 伊達という町は人の住む近くに自然が豊かなところがあるという状態ではなく、伊達の自然は貧弱だというのが私の認識でした。元から自然が大好きで、山登り、山菜取り、きのことり、野草、高山植物観察など1年中山に入って生活していましたが、8年前小学校3年の娘の冬休みの自由研究の宿題に付き合って、長流川に白鳥の観察に行ったのが長流川との付き合いの始まりでした。
 現在の長流川は河口から2kmほどが10年前に洪水対策としてしっかりコンクリート化され、国道の橋、JRの鉄橋、北電火力発電所のパイプラインが横断しており、河口の西側には製糖工場、東側には下水処理場とすっかり人工物に覆いつくされています。
 自然に親しんでいる私にとってはまったく行く気の起こらない所でした。ところが白鳥を観察しに行ったところ、いろんなカモが沢山いて、それ以降は図鑑と双眼鏡をしっかり準備して娘と一緒に野鳥観察をすることとなりました。観察を何度か続けるうちに思いもよらないほどの野鳥が観察され、それまでの長流川の認識を変えざるを得ませんでした。しかし安い双眼鏡では遠くのものが判別できず、結局は本格的に野鳥専門の道具とカメラを購入するという羽目に陥りました。ところが道具が良いとさらに様々な鳥の発見となり、もったいないので観察記録を付け始めるとそれがさらにエスカレートし、暇を作っては毎日のように観察に出かけるようになりました。知れば知るほど長流川の魅力に惹き付けられました。

 観察記録を付け始めて7年ほどになりますが、5年間は毎日が発見の連続でした。自然が破壊された所として馬鹿にしていた長流川がウトナイ湖に出かけなくても殆どの鳥を見ることができる特異な所なんだということが次第に明らかになってきました。そのことが分かるにつれて河口周辺だけでなく上流部の調査、海岸、海の調査など伊達市の全体の野鳥調査まで手を伸ばしてきました。これまでの野鳥観察の中で長流川が地域の生態系の中核となっていることが分かりました。海と山を結ぶ回廊としての役割、わずかに残された河畔林と周辺の田畑が、生き物たちの残された生息場所として、地域生態系を形成しています。さらには鳥の渡りの中継地としての地理的条件、採食条件がある程度満たされる為か、さまざまな旅鳥が河口周辺に立ち寄り羽根を休め、餌とリをして行きます。夏は夏鳥の繁殖地として、冬は冬鳥の越冬地として、多くの鳥たちを育んでいます。

3〕 長流川の野鳥たち

 私がこれまで記録したものと一部日本野鳥の会の記録から作成した伊達の野鳥リストを表1に示しています。

  (注:全233種に及ぶ表1の野鳥リストはホームページでは掲載を省略しました。)

4〕 長流川の野鳥の特徴

  ご存知のように伊達は活火山である有珠山の裾野に広がる町です。洞爺湖カルデラ形成時の火山灰や有珠山の火山灰が堆積し、長流川の東斜面に20m~50mの火山灰の崖が形成されています。この斜面は土砂流出を防ぐ為一体が保安林となっており、長流川の自然度を維持する大切な役割を果たしています。河口近くから6kmほど続くこの崖の斜面は長流川の自然の多様性を作り出し、そこに生息する生物の多様性、種の多様性を生み出しています。野鳥については山野の鳥から、水辺の鳥さらに海鳥まで長流川周辺で北海道で見られる殆どの鳥を見ることができます。河口部分の自然破壊が著しい為、かつては鳥の数も多かったと聞きますが、現在は残念ながら数的に多くの鳥を呼び寄せる環境にはありません。しかし鳥の渡りの地理的条件がよいのか(シギチドリとカモ類の出現の中身からサハリンルートと千島ルートが重なっているようです)、迷鳥と呼ばれる珍しい鳥が時々現れたりして、長流川は狭い範囲の中で様々な種類の鳥を見ることができる特異なところといっていいのかもしれません。 

 「野鳥だより」120号(平成12年6月20日発行)で報告しましたオオカラモズ(99年末)をはじめとして、オオホシハジロ(97年,98年越冬,99年越冬,01年)、カラシラサギ(99年01年)、ツクシガモ(98年)、アメリカヒドリ(98年)、ツバメチドリ(98年)、トウゾクモメ(01年)、クロトウゾクカモメ(02年)、コベニヒワ(97年)、マミジロツメナガセキレイ(ツメナガセキレイの1亜種、99年)、セイタカシギ(98年、01年、02年)、ミヤコドリ(01年)、ハジロコチドリ(02年)、そして今年は、なんとヒメハジロが3月15日から4月26日まで長期滞在しました。ヒメハジロはミコアイサと並ぶと、もう一回り小さい鳥で、河口のプールで1日中盛んにもぐって餌取りをしています。なかなか警戒心が強く、50mより近くには近づくことができないほどでした。ホオジロガモが20羽ほど増えた時期に一致しているので、どこからか一緒に渡ってきたものと思われます。長流川が自分の居場所のように、当たり前の顔をしてホオジロガモの近くで毎日暮らしていました。休むときは背中にくちばしを突っ込んで、ミコアイサのそばにいることも多く、近い仲間とでも思っていたのでしょうか。いつ旅立つかと毎日観察を続けていましたが、4月26日午前10時、役20羽のホオジロガモの群れと太平洋を北上していきました。
  もう一つの特徴といえるのは新聞にも載りましたが、4年前からのマガンの越冬です。以前から春・秋の渡りの時期に立ち寄ることがありましたが、99年3羽から始まったマガンの越冬(11月~3月)は、00年5羽、01年19羽(+オオヒシクイ2羽)、02年59羽と急速にその数を増しています。今後の動きが注目されるところです(4月3日に総てのマガンが北上しました)。

5〕 伊達の野鳥の観察ポイント

<長流川河口>
  国道37号線を虻田町方向へ進み長流橋を渡ってすぐの信号を左折し、踏み切りを渡り100mほど直進すると左手に長流川の堰堤に入る道があります。そこを左折して堤防の管理道路を河口に向かって(右折して)真直ぐ進むと河口に出ます。
春・秋(4~5月、8~10月):数はあまり多くはありませんが、シギチドリが一通り見ることができます(釣り人も多く鳥が逃げてしまうことが多い)。
夏(6~8月):カモメ類、ミサゴ、ハヤブサ、ノビタキ、コヨシキリ、オオヨシキリ、コチドリ、ヒバリ、オオジュリン、アオジ、カワセミ、アオサギ、シギチドリ類。
冬(11~3月):オオハクチョウ、ハシジロアビ、オオハム、ホオジロガモ、スズガモ、ホシハジロ、ミコアイサ、カルガモ、マガモ、クロガモ、ビロードキンクロ、コオリガモ、アカエリカイツブリ、コクガン、マガン、オジロワシ、ノスリ、ケアシノスリ、ミヤマガラス、コクマルガラス、カモメ類など。

<有珠アルトリ岬~海水浴場>
  国道37号線を虻田町方向へ長和町を通り過ぎて長流川の河岸段丘の坂を登り若生(ワッカオイ)を過ぎると下り坂となる(通称メロン街道)。坂を下ってすぐ左に海岸へ出る道があるのでそれを左折して海岸(アルトリ海岸・・通称恋人海岸)に出ると正面に見えるのがアルトリ岬です。
春・秋(4~5月、8~10月):シギ・チドリ類。アルトリ岬では10月渡りのピークには朝沢山の野鳥が頭上を飛び交うのを見ることができます。
夏(6~8月):カモメ類、ノビタキ、オオジュリン、コヨシキリ、オオヨシキリ、ヒバリ、アオジ、ウグイス、ショウドウツバメ(営巣)。
冬(11~3月):コクガン、クロガモ、ビロードキンクロ、ハジロカイツブリ、ホオジロガモ、コオリガモ、カモメ類、(ゴマフアザラシ)。

6〕 最後に長流川の自然のあるべき方向

 これまで伊達市においても自分たちの住む地域の自然状況を把握して街づくりをすることはありませんでした。伊達市では他の地域に先駆けて環境基本条例を制定しましたが(平成10年)、それが街づくりの中心にすえられ実行されているかというと、まだまだ発展途上と言わざるを得ません。子供の宿題から始まった伊達の野鳥調査は私にとって伊達市の自然の再認識となりました。鳥たちにとって重要な伊達の自然は、地域の環境を維持する為にも、鳥たちによってリンクされた地球生態系を守っていく上でも大事なことなのだということが分かりました。まず何をしなければならないのか。伊達おいて唯一残された長流川周辺を地域生態系のコアとして保全してゆくことを、早急に求めてゆかなければならないと思います。これから21世紀の永続的な地域社会の展望は地域生態系との共生の中で、食の安全を求めていく第一次産業の確立を目指すことによって切り開かれるものと思います。グローバル化の波が押し寄せてきている中で農業を中心とした第一次産業が破壊されようとしています。地域社会を守るのは地域社会の経済的自立、食の確保からだと思います。それを保障するのが地域を取り巻く豊かな自然であるということです。資本主義経済はどうしても目先利潤追求をせざるを得ません。しかし先を見通して長いスパンで地域社会の構築を追及しなければならない時代に入っていると思います。鳥たちによって地域の自然を見せられ、地域社会のある方、さらには人間社会のある方を考えさせられました。
 バードウォッチングは楽しいながらも深いものだと思います。

 

(平成15年6月発行「北海道野鳥だより」第132号から転載。写真は筆者撮影。)